save me save me
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本当に、本当に本当に本当に本当に早くこれになりたい。
この絵でフリゲ作られてもシナリオがDRAクオリティなら号泣できる自信ある。絵ってそういうものなんだよな。
皮肉とか抜きで今年見た絵の中で一番良いです。セレステのサントラの絵を除いて。
凄まじい本物の偽物の鬱病に襲われています。
本当にくどいようだが、本当に友達がいない。しかし私は今まで「友達がいない」ことがある種の問題だと思っていたのだが、おそらくより近しい答えは「友達がいらない」ことが問題なのだと思う。
誰とも触れ合っていない時間が一番楽しい。これが社会不適合の最たる形ではないだろうか。
いや、これは正確ではないな……。たとえば、ずっと独りでいる時の「快楽」が50で不変だとして、これが「誰かと遊ぶ」状態になると一時的に80くらいになり、その後解散してすぐ10~20まで落ち込む。これがゆっくり回復してまた50に戻る、と見せかけておそらく49.999999…くらいで止まる。
これの繰り返しと考えると、なんというか、割に合わないんですよ。人と関わる行為自体が。約束された破滅が待っているならエンテレケイアに要らないものなのです。
それで、私は今までこの現象が起きるすべての人間関係を「本当の友達ではないから」という真のスコットランド人論法的な手口で否定してきた。本当の友達ならば下降がないだろうと。
結果、友達が誰もいなくなる、という寸法。独りが楽しい、というとやや語弊があるが、独りが一番平穏なんです。安穏なんです。
人間関係にしろ遊びにしろ何にしろ、独りを壊すすべては動乱でありノイズなんです。ここではじめに戻って、これこそが「社会不適合」ではないかという話。
友達がいない、だけなら頑張って作ればなんとかなるかもしれないじゃん。人間関係と迎合できるなら。それすらできない場合ってどないしましょうね。
まだ固執していいか?わたしは本当の友達に出会っていないだけだという幻想に。
この思索はかなりいい線いってる(自分の現状を的確に言い表している)気がするから、もうちょい詰めたい。
本当の友達、つまり「ぼくがかんがえたさいきょうのともだち」ってどんな存在か。そこから逆算していけないか。
正直感覚的に一番近いのが職場の同期という惨状です。惨状っていってもダ・ヴィンチ・恐山とARuFaみたいなものと考えればまぁおかしな話ではないのかもしれないけども。
彼と話してる時だけは反動がない気がする。やはり現実での知り合いっていう前提がないと厳しいな。
そうなるとやはりほぼ無理ゲーという。ネットで知り合って現実で会って遊ぶみたいな関係の人間は正真正銘ひとりもいないし。
それか?もしかして。そういう存在を作るべきなのか、今から?
一番近くて愛知なんですが。愛知県在住の人あそぼー笑
あるいはVRCがそのブリッジになれるという説はあるが。これも正直あまりピンと来てはいない。お砂糖ワールドをGroup+で開いてるフレンドがいて正気かと思ったりなどした。さ、さんにんで!?(いにしえのミーム)
私が「友人」という存在に何を求めるか、から考えるか。何も浮かばないようならやはりそもそも要らないということになる。
- 私の知っている作品を多く履修していること。全てとは言わない、が出来るだけ共通の作品の話ができる相手であって欲しい。
- トーク力が私の数倍以上あること。基本的には引っ張ってほしい。
- そのうえでネット(特に例のアレ周り)に疎いこと。衛門とかは論外。
- 知識人であれとか何かしらのスキルを持っていてくれとは全く思わない。あったらあったでも別にいい。
- 声が心地良い。笑い方が不愉快ではない。
- 陰口・悪口を言わない。私に対してとかじゃなくて全般に。
わがままファッションガールズモードか?
こんな人間この世にいるのか?……割といそうな気がする。しかし警部、こんな人間がいったいどうして私に興味を持ちましょうか?
こう書き出すと該当するインターネットフレンドもちらほらいるが、あれはなぜダメなんだろう……。(thatと呼ばれた子)
彼は陰口・悪口はまったく言わないし、トーク力も少なくとも私よりはずっとある。声は……うーん……。知ってる作品も……ぶっちゃけそんなに被ってはないか……。
わかった、条件を追加します。「無神経ではないこと」。カリブーとは友達になれない。人の苦しみを悪意無く笑ったり、もっと細かく言うとフォスフォフィライトに共感できない人間とは仲良くできない。
「フォスフォフィライトに共感できること」だけでよくね?という気もする。フォスが一番好きな人間と逆にどうやったら仲違い出来るだろうか。……いや、できるな。した例がひとつあるし。
ああ、あと適度に怒れる人がいいね。ネフレにまあったく怒らない人がいるのだけど、怖すぎるから。南海トラフのプレートと接している気分になる。
条件を見つめれば見つめるほど私が不良物件すぎるだけという血も涙もない結論が迫ってまいりました。
でもさ、極端に言えば多分ARuFaとかなら全部包みこんでくれるのよ。持ち前のスキルで。もうそういう次元の話になってくると思う。キャリーしてもらうしかない。
グダグダ言ってないで自分から探せよという話にもなりそうだが、これも『こっちむいて!みい子』のドーナツ理論と同じで、「もらえるなら欲しいが自分から出向くほどではない」程度の欲求でしかないのでそうはならないんです。
「ぼくはちかごろ考える。孤独と孤立はちがうんじゃあるまいか。まわりに人がいないというだけの孤独なら、いつかは慣れるようになる。出てくる前のほうが、よっぽど、ぼくは孤立していた。」(pp.216-7, 太平洋ひとりぼっち)
世界に誰もいなければおそらく私は何一つ寂しさを感じない。自室で一人でいる時は豊かだが、パーティ会場で周りが盛り上がっている中ひとりでいると惨めだというフレーミングをされる。だから問題はひとりであることではなく、ひとりを世界がどう修飾するかという環境因子であって、俗世は資本主義にまみれ此れを兎角迎合の広告で埋め尽くしていて……。色彩は資本主義がつくり上げた「賑わい=幸福」という構図に支配されていて……。
ていうかさ、ずるいのが周りの友達いる奴らってみんな「誘ってもらえる」立場なんですよね。職場のT君も自分から友達を遊びに誘うことなんてほぼ全くないらしく、それでもありえないくらい誘われまくって最低週1でどっか出かけてる。
それでいいんなら私もやっていけそうなんだけど。だーれもいませんわ誘ってくれる人なんて!!!
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